留年ファクトリー

日々のことを文字に起こすことにした。留年はしていない(が危うい)。

どんな事だって語ることができるよ

12/26

昨夜は寝付けず午前3時頃に眠った。
今朝は想定より遅く午前10時に起きた。
母の声がよく聞こえたので、私以外はもう仕事をしているようだった。
というか薄々みんなが起きているのを気付きながら眠っていた。
新潟の家は、冬になると雪囲いをして雪に備えるので、夜が明けてもとても暗いので、まだ早い時間だろうと思っていたのも寝坊の原因。
2,3年前は母も祖母も、そして祖父も状況に慣れておらず(今より良い状況であるに関わらず)怒鳴ってばかりで、悲しくなった記憶があるが、しかし今朝は、母の大きいが優しい声が家中に響いていた。

祖母が、どうしても花を生けるというので手伝いをした。
花が好きな祖母にとって、生け花は部屋の片付けと同じく当たり前で大切なのだ。
いくつもの花瓶に生けていくので、段々と作業になった母は適当に花を花瓶に入れてやり、どうだと見せると、祖母は「それじゃダメだ、ハラリとしていないと」と言った。
母と『ハラリ』を考えたが、難しいので「師匠、頼みます」と祖母に任せると、随分『ハラリ』となったので、母と興奮した。
月に一度、母が掃除や諸々の手続きなどの為に、祖父母の家に行く度に、おそらく毎回花を整えているが、やはり花は枯れるらしい。
祖母は、枯れた花が挿してある花瓶から、枯れているものだけ抜いて、新しい花を付け足しながら、また完成させることを説明した。
「ケチなようだけど」と言った後「勉強だからね」と続けた。

祖父の身体を洗うので、母が風呂場に来るよう1メートル程の距離で「おじいちゃん、こっちにおいで」と声をかけたが、祖父は隣に座る私の方を見て、戸惑いながら「俺か」と尋ねたので、そうだと答えた。
納得したようにして席を立ち、母に様々してもらった後に私の元へ帰ってきた。
ヒゲや髪を整え、石鹸のいい香りを漂わせながら、綺麗な衣服に身を包んで登場した祖父に、そう言ってやると、ニコニコと照れ臭そうに自らの頭の後ろをさすっていた。
私が中学の時に百寿で亡くなった曽祖母にそっくりの豊かな笑顔であった。

祖父母がこんな状況になってから、
母は、やがて祖母のようになることを覚悟し、私は、やがて母のようになることを覚悟し、またお互いがそのようになることを覚悟した。
母はそうなる前に死ぬつもりらしいが、私には未来がわからない。
宇多田ヒカルが『誓い』で「運命を認めざるを得ない」と歌った事に衝撃を受けたことを伝えると、彼女にとてもよく共感したようだった。
大人には未来がわかるのだ、と私は思った。

夕方6時頃に祖父母の家を出て夜10時頃に多摩センターに着き、荷物下ろしを義理の父と手伝ってやった。

夕飯を食べた後、母がおはぎを私にくれようとして二等分にお箸で切った。
私はその前に1パック食べたので断ったが、どうしても食べてもらいたい様子だったので「食べ切れなかったら」と答えた。
田舎は年越しのために普段空いているガソリンスタンドやスーパーが混んでいて、もう年末!!という感じであったが、東京に戻ると、いつもと同じような感じだと話した。
義父は30日まで仕事が続くそう。
そんな話を聞くことが、年末の子どもらしくて良いと思った。
母はついついおはぎを丸一個食べてしまっていた。
代わりにスーパーで買った"ゼリー入りのチョコストロベリーバナナヨーグルト味のドリンク"を義父と飲むことにした
嫌な酸味が浮いていて不味いので、義父はストロベリーが悪いと言ったが、私はチョコが変な酸味を際立たせて悪いと言った。
そうして議論していると、母に「飲み物一つでよくそんなに語れるわねぇ」と言われ、義父は「そりゃあ、どんな事だって語ることができるよ」と答えた。
大変仲の良い家族だと思った。

そういえば昨日は風呂に入れなかったことを思い出しながら、ゆっくりと湯船に浸かった。
久しぶりにとても眠くなったので、よく寝た。