留年ファクトリー

日々のことを文字に起こすことにした。留年はしていない(が危うい)。

制服のスカート効果

バイト先でインフルエンザの予防接種の注射を打ちに来た2歳と3歳の兄弟がいた。

弟から先に打って、静かなものだから、先生も安心していた。

しかし、お兄ちゃんの方は泣き叫んでしまって大分時間がかかってしまった。

 

3歳には兄としてのプライドなどないのだろうか?と3歳の時の自分を思い出してみても、公園でスカートを男の子にめくられて一生スカートを履きたくないと思ったことしか思い出せない。

実際、私は中学生の制服制度により強要されるまでスカートを履かなかった。

 

ちなみに私が男っぽく育ったのはそれとは別で、私の地元が性犯罪が多い地域だった為、可愛い私が襲われないようにと、兄と一緒に強くなるよう育てたかららしい。

当時はそんな風に客観的に自分を判断できなかった(当時は自分は自分だ!男とか女とか関係ねえ!という強い意思を持っていた)が、「僕」という一人称や、フィジカルの強さ(腹筋も割れてたゾ)、何より服装が男の子そのものだった。

男の子っぽいとか、女の子っぽいという評価が苦手で、格好良いとか、可愛いとか言われるのも苦手だった。今思えば自分のセクシュアリティジェンダーというものに一番純粋に違和感を感じていたのは幼少期だったのかもしれない。当然そんな難しい言葉は知らなかったけど。

 

中学生になる頃にはネットなどで知識がある程度ついていたし、制服のスカート効果もあってか自分を女性として受け入れることが単純なことになっていた。

女の子はこういうもの、男の子はこういうもの、みたいな、ある意味の理想形?にみんなが近づこうとしている時期で、みんなが必死だったと思う。多感故に色んなことを考えたし、自分の形成に誰がどのように影響して、自分は誰をどう思っているか、定義付けていた。今にしてみると随分暇だったものだ。

とはいえ、もし中学の制服がなかったとしても、アプローチがかわるだけで、最後は今の私に辿り着いていたはずだ。

結局のところ、差別だ自由だと言ったところで、本当の自分は変わらずにいるのだ。

キャロルとテレーズだってそうだったようにね。

 

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世界で3番目に好きな映画

 

思い出したが、小さいころの兄は逃げてばかりで、私より頭も要領も悪かった。中学や高校になるとなんだか知らないが年上面を始めたので、ムカついて好きじゃなかった。

もう彼は社会に出て働いているが、年子で生まれた時から一緒にいたからこそ知っている彼の長所が存分に活かされ、評価され、立派な大人になっていると思う。

兄は弱くても実は兄であったし、大人になっても兄なのだ。

兄とはそういうものなのかもしれない。

私も兄から見て可愛い妹になっただろうか。

 

 

こういうことを考えた日は下らない映画を見たくなる。

今日は『コンビニ・ウォーズ バイトJK VS ミニナチ軍団』を見た。

ジョニデとヴァネッサパラディの娘のリリーローズちゃんが主演の映画で、何とも言えない下らなさと高等B級感に安心した。両親とも出演していて、母娘の共演シーンは、ちょっと熱かった。

途中で中断してしまったので続きはまた明日にでも見ようと思う。

 

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