留年ファクトリー

日々のことを文字に起こすことにした。留年はしていない(が危うい)。

ギザギザした吹き出しを使いたがる

今日、午前中から彼のゼミの学期末の発表があるというので、一昨日から昨夜にかけて、その為のPowerPointと原稿作りを手伝った。

彼が作ったレポートを元に、8〜10分話せるように言葉を切り貼りする。
当然私の癖が混じるので、彼が作った部分と私が作った部分とでは、雰囲気が違ってきてしまって、結局それも私が書き直す…というようにしていた。
完全にゴーストライトであった。
もちろん初めてでは無い。

特に面白かったのは、PowerPointを作った時だ。
やたらギザギザした吹き出し🗯を使いたがる私であったが、彼からするとふざけ過ぎているそうだ。
その他にも四角の図形などはできるだけ立体的なものにしたり、画像を大袈裟に縁取ったりするのが楽しかったのだが、その度に彼の頭は横に振られた。
だがしかし、私は強行したので、今日彼はそれを発表したことになる。
そもそも、それが嫌なら最初から私にやらせなければ良いのだ。

発表の練習や細かい修正もしたので、4:00前くらいの就寝となった。
起きたのは12:00過ぎ頃。
病院に行って薬をもらってから、花屋さんに向かった。
祖母がもうすぐ88歳になるので、米寿のお祝いに鉢植のお花を贈ることにしたのだ。

小学生の頃に、祖母に花を贈るというので、母と近所の花屋さんに行ったことを思い出した。
母は私にどの花が良いか聞くと、立派な胡蝶蘭があったので、これが良い!と確信持って伝えた。
後から聞いたところ、それはその店で一番高い花だったようだ。
きっと昔から目が高いのである。

今回も、深く雪の積もる新潟に住む祖父母は、なかなか外には出られないので、長くもつ蘭鉢を贈ることにした。
胡蝶蘭を注文したのだが、新潟は寒過ぎてもたないというので、シンビジウムになった。
花の種類は詳しく無いが、胡蝶蘭シンビジウムくらいは知っている。和蘭と洋蘭だよね?

バイトから帰ってきて、鮭の炊き込みご飯を作ってから、『ブルーバレンタイン』を観た。
愛を信じる人には辛すぎると聞いていたので、避けてきたのだが、バレンタインが近いので観た。
正直、トラウマになるレベルでキツかった。
映画自体は「だからなんだ?」となる人も多いだろう。
あまり華やかな映画では無いし、オチがしっかりつく様なわかりやすい映画でも無い。
ただ、ある愛の始まりと終わり、というだけなのだ。
しかしながらこれに全く共感しない人の方が少ないのではないか?
愛は永遠なんかじゃないと思ってしまうこと、誰にだって一度や二度はあるのではないだろうか。
それでも、愛を信じたいと思う人はきっと、この映画を観終わってからもなお、2人の愛は消え切っていないと、言い張りたくなるんじゃないかな。私はその1人。

どんな事だって語ることができるよ

12/26

昨夜は寝付けず午前3時頃に眠った。
今朝は想定より遅く午前10時に起きた。
母の声がよく聞こえたので、私以外はもう仕事をしているようだった。
というか薄々みんなが起きているのを気付きながら眠っていた。
新潟の家は、冬になると雪囲いをして雪に備えるので、夜が明けてもとても暗いので、まだ早い時間だろうと思っていたのも寝坊の原因。
2,3年前は母も祖母も、そして祖父も状況に慣れておらず(今より良い状況であるに関わらず)怒鳴ってばかりで、悲しくなった記憶があるが、しかし今朝は、母の大きいが優しい声が家中に響いていた。

祖母が、どうしても花を生けるというので手伝いをした。
花が好きな祖母にとって、生け花は部屋の片付けと同じく当たり前で大切なのだ。
いくつもの花瓶に生けていくので、段々と作業になった母は適当に花を花瓶に入れてやり、どうだと見せると、祖母は「それじゃダメだ、ハラリとしていないと」と言った。
母と『ハラリ』を考えたが、難しいので「師匠、頼みます」と祖母に任せると、随分『ハラリ』となったので、母と興奮した。
月に一度、母が掃除や諸々の手続きなどの為に、祖父母の家に行く度に、おそらく毎回花を整えているが、やはり花は枯れるらしい。
祖母は、枯れた花が挿してある花瓶から、枯れているものだけ抜いて、新しい花を付け足しながら、また完成させることを説明した。
「ケチなようだけど」と言った後「勉強だからね」と続けた。

祖父の身体を洗うので、母が風呂場に来るよう1メートル程の距離で「おじいちゃん、こっちにおいで」と声をかけたが、祖父は隣に座る私の方を見て、戸惑いながら「俺か」と尋ねたので、そうだと答えた。
納得したようにして席を立ち、母に様々してもらった後に私の元へ帰ってきた。
ヒゲや髪を整え、石鹸のいい香りを漂わせながら、綺麗な衣服に身を包んで登場した祖父に、そう言ってやると、ニコニコと照れ臭そうに自らの頭の後ろをさすっていた。
私が中学の時に百寿で亡くなった曽祖母にそっくりの豊かな笑顔であった。

祖父母がこんな状況になってから、
母は、やがて祖母のようになることを覚悟し、私は、やがて母のようになることを覚悟し、またお互いがそのようになることを覚悟した。
母はそうなる前に死ぬつもりらしいが、私には未来がわからない。
宇多田ヒカルが『誓い』で「運命を認めざるを得ない」と歌った事に衝撃を受けたことを伝えると、彼女にとてもよく共感したようだった。
大人には未来がわかるのだ、と私は思った。

夕方6時頃に祖父母の家を出て夜10時頃に多摩センターに着き、荷物下ろしを義理の父と手伝ってやった。

夕飯を食べた後、母がおはぎを私にくれようとして二等分にお箸で切った。
私はその前に1パック食べたので断ったが、どうしても食べてもらいたい様子だったので「食べ切れなかったら」と答えた。
田舎は年越しのために普段空いているガソリンスタンドやスーパーが混んでいて、もう年末!!という感じであったが、東京に戻ると、いつもと同じような感じだと話した。
義父は30日まで仕事が続くそう。
そんな話を聞くことが、年末の子どもらしくて良いと思った。
母はついついおはぎを丸一個食べてしまっていた。
代わりにスーパーで買った"ゼリー入りのチョコストロベリーバナナヨーグルト味のドリンク"を義父と飲むことにした
嫌な酸味が浮いていて不味いので、義父はストロベリーが悪いと言ったが、私はチョコが変な酸味を際立たせて悪いと言った。
そうして議論していると、母に「飲み物一つでよくそんなに語れるわねぇ」と言われ、義父は「そりゃあ、どんな事だって語ることができるよ」と答えた。
大変仲の良い家族だと思った。

そういえば昨日は風呂に入れなかったことを思い出しながら、ゆっくりと湯船に浸かった。
久しぶりにとても眠くなったので、よく寝た。

手袋の右手用のみが大量に発掘された

12/25

母とドライブをした。
私は宇多田ヒカルを流した。(本人を流したのではないが、曲自体を本人の名前で呼ぶくらいには、曲を彼女そのものだと感じているのだろうか)
午後6時くらいに多摩センターを出発し、新潟の祖父母の家に向かった。
祖父はアルツハイマー病が進んでおり、認知や身体の調子が随分悪く、先は長くない。(認知症が進むと人が変わると言うが、彼は恐らく根っから優しく働き者で妻と娘と孫が好きな人、ということらしい)
祖母も祖父と同じくらいの歳で、足腰が順調でなく、自由に出歩くことができないが、祖父の面倒をみている。
親戚も多い田舎の家であったが、祖父母の調子が悪くなって以来、付き合いも変わってきた様だ。(人間とはつまらないものだ)
そういう訳で所謂楽しい帰省とは雰囲気が違うわけであり、数年前の様に母の動揺を目の当たりにするというショックはないが、やはり明るい気持ちではない。
母とドライブをすると、近況報告会をするのが例になっている。
何があったという話はもちろんだが、それ以上に、何を思ったかをよく話す。
以下内容
①私は、初見で自分の価値観に照らし合わせて悪い場合も、人が選択したなら良いものなのではないかと、私に良し悪しの断言はできないと、母に言ったところ、末っ子らしいと言われた。
よくわからなかったが、母に末っ子らしいと言われるのは嬉しかった。
一般的な末っ子観ではなく、おそらく姉と兄の妹らしいということなのがわかったからだ。
母はよく子供を愛してくれている。
②春頃友達とうまくいかなかったことがあったが、時間経過により徐々に修復でき、最近では十分に楽しいという話をしたところ、友達と私の仲をよく知っており、喜んでくれた。
私は"私が仲直りができた"ことを母は喜んでいると思ったが、話を聞くと"その友達とうまくいかない私は、大きなストレスを抱えているだろうから、それが無くなった"ことを喜んでいたらしい。
私の現代人にあるまじきストレス耐性の無さは、そんな素振りを見せたことはないはずだが、母は何故かよく知っていたのだ。
母が言うには「どんなに仲が良くても時々『この人って本当に嫌な人!』と思うけど、『そういうところも知ってたわ』となるから、やはり仲が良いということなんだ」ということらしい。

夜の11時前に到着した。
湯沢あたりはそこそこに雪が積もっていたが、祖父母宅の周りは積もっておらず安心した。
挨拶をすると祖母の反応は薄かった、なんだか疲れている様子だった。
祖父は寝ていたが、母が起こして顔を見せると、大変喜んでくれた。(寝かせておいた方が良いと思ったが、再会は全員で喜びたいものだ)
夏に帰ったときは久々だったのもあって、ある程度部屋が掃除してあったようだが、寒くて身体が動かないのか、大変散らかった状態であった。
私はケーキを切ったり紅茶を淹れたり、姉や兄の写真を見せるなどして、祖父母にとっての非日常をしてみせた。
母は部屋の掃除をしていたので、あとで私も手伝った。
大量の2019年版カレンダーがあったので母主催のカレンダーコンテストが開催された。
私は、あれが良いこれはダメなど言い、没作カレンダーは折って紙のゴミ箱にした。
掃除をしていると、手袋の右手用のみが大量に発掘された。
祖父に、もう寝る時間なので歯磨きをするよう促すと、洗面台の前まで行って、何をするのかわからなくなり帰ってきた。
そういうことが楽しいと、良い思い出となり得るこの家族を愛おしいと思った。
私が末っ子であることが損だと感じるのは、家族の死が、人生の早い段階で多く訪れることだ。
多分に出世をした私を見てほしいと願うことは、エゴでしかないのだ。

そんな最中に彼とLINEをしていると、彼はクリスマスプレゼントに、親からCITIZENの高そうな時計をもらったというので、ペアウォッチを検討していたが、買うのをやめようと提案した。
彼は大変悲しそうであった。
私はコンバースのスニーカーが欲しいので、そちらはどうかと言うと了承してくれた。
優しい彼であった。

意味のない特別って誰にでもあるものなのだろうか

しばらくどうでも良い(どうでも良くない)日々を送っていたが、今日の微妙な気持ちは何となく忘れたくないと思い、書き残すことにした。
誰に会うでもなく、何処か特別な場所に行くでもない日であったが、そういう日こそ、私の価値観や、感性が表出するのだ。


昨日のクリスマスパーティーでワインをがぶ飲みした余韻を抱えながら床を立ち、シャワーを浴びた。
今日の予定を確認すると随分厳しいスケジューリングであった。私はついつい、きつい予定を組みがちだ。
諸事情あって夕方に母の運転する車で新潟の祖父母の家に行くのに多摩センターへ向かわなければいけないが、昼に地元で親友と会う約束をしてしまったのだ。
結局、親友との約束を、気を遣ってもらって延期をしてもらった。運の良いことに、私の友人は皆優しく、好きだ。
すると今度はかなり暇になった。
しかし無駄に体力を消費するまいと、途中で乗り換え駅を変更し、そのまま多摩センターに向かうことにした。

草加から多摩センターまでは電車で1.5~2時間ほどかかるので、Apple Musicで音楽を聴いていた。
宇多田ヒカルのアルバム『Face My Fears』が公開されていたので、楽しみにしていたKH3のED曲『誓い』をヘビロテしながらぐじゅぐじゅ泣いていた。
私はよく泣くので、泣く事は大したことではないと感じ始めている。涙より、それに至った感情が何倍もの価値になる。"記憶したか?"
私は自分で愛情深い人間だと思う場合と、我儘で冷たい人間だと思う場合があり、どちらの責任も自分自身にあることが苦痛に感じる。
人を愛することも、傷つけることも同じことなのだと、悲しくなる。だから人は愛しきれないのかもしれない。
しかしながら『誓い』は、愛や恋について語らず、運命を肯定する。ただ単に必然なのだ。どんなに良くったって信じきれなかった彼女はもういないのだ…。
いやはや感動してしまい、隣のおばさんに泣いていることを心配された。優しいおばさんだった。
そうしていると目的の駅に着いた。

多摩センターは、イルミネーションがあったり、サンリオピューロランドがあったり(これは年中であるが)するので、クリスマス当日ともすれば、人は多いのかと思いきや、混雑はなく学生風の若者が多かった。
早く着きすぎてしまったので、本屋に立ち寄ることにした。
私は小説が好きだが大変飽き性なので、読み切れる本とそうでないものがある。
大好きな作家は宮木あや子先生。一番のお気に入りは『雨の塔』。
久々に宮木あや子先生の小説が読みたいと思い、本棚を順繰りに眺めていると、山口百恵著『蒼の時』を見つけた。
軽く立読むと、大変興味深かったので、買うか迷ったが、生身の人の話は今の自分にとって重過ぎて、やめた。
それに、大学の図書館にも置いてあるという話を、山口百恵ファンの先輩から聞いたことがあるので、気が向いたらそちらで読むことにする。
たくさんの本を眺めていると、多すぎる情報量に酔ってしまい、少し気持ちが悪くなった。
結局、これというものもなく、宮木あや子作品も自力では見つけられなかったし、疲れたので、書籍検索機で見つけた『白蝶花』を買った。
第二次世界大戦下の日本で、令嬢とその元に奉公に来た女性が友情とも恋とも違う感情で惹かれ合うが…という話らしい。
百合とは少し違うかもしれないが、女同士(+男)の複雑な関係に一喜一憂したい私にはぴったりであった。
特に時代モノは大好物なので嬉しい。

本屋を出てから、いつもより遠回りして、母の家に向かった。
その道は、本当に遠回りなのだし、景色が良いとか、そこで何があったとかも無く、変哲もない道だが、私にとって特別な道だ。
歩いていると、現在の自分を俯瞰して見ることができると同時に、寂しさや悲しさ、不安や喜びみたいな、様様な感情が沸き上がって、涙がこぼれそうになる。
そういう意味のない特別って誰にでもあるものなのだろうか。
「"エモい"って正にこれだよなぁ」と納得しながら、母の家に着くと、甘い香りがした。
母の家はマンションの一室(母曰くとても狭いが、私は丁度良い広さの部屋だと思う)なので、玄関までリビングの香りが直に伝ってくるのだ。
母はまだ仕事でいないようだったが、ダイニングテーブルの上には、リンゴのパンケーキとゆで卵とバナナが置いてあった。
パンケーキの上に、はちみつのようなマーガリンのような強烈に甘い香りのするものが塗られている。
甘すぎるのだろうが、折角用意してあるので、一切れ別皿に移しレンジに入れた。
レンジで温めている間、ゆで卵の殻をむいて食べた。
腕時計を見ると午後3時であったが、そういえば朝も昼も食べていなかったことに気がついた。
テレビの前の小さなローテーブルには、小筆と硯、Monblancの万年筆とインクボトル、そして名前と住所のリストがあった。
母は毎年、100枚以上の年賀状をすべて手書きで書く。
古い人なのだ。

まだ出発までに時間もあることだし、これから『白蝶花』を読もうと思う。
リンゴのパンケーキは、やはり甘すぎたが母の味がして涙がこぼれた。

屈強なえっちお姉さんたちに引けを取らない堂々とした存在感

できるだけ毎日更新しようと思っていたのに、サボりサボって久々の更新になってしもうた。

最近本当にやらなくてはいけないことが多いのにも関わらず、遊ぶ予定を入れてしまうので良くない。若い癖に体力が無いので気をつけねば。

 

昨日は先週末の睡眠不足と心身疲労の皺寄せがきて、学校とバイトの間に爆泣きをかまし何も捗らないので、帰宅後も仕事を全部放棄した上で、夕飯はかつやさんに出前を注文し、寝るまでスマブラをしていた。

 

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『私の百合はお仕事です!』紹介編ー4巻まとめてキメた

百合漫画欲を開放してから3日、浴びるように百合を摂取している。

というか欲望を抑制することをやめたので食べるは飲むは、百合は摂るはで体重も増えた。まあそんなこんなで食べる量も少しは気を付けようと思うので、その分百合で心を埋めたい(そう、満たしたいのは胃じゃないの、心なの)。

前回の記事も百合漫画の話だったが、結構楽しかったので、今回も良いなと思った百合漫画を紹介しようと思う。

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『行進子犬に恋文を』ー時代が私の好みに追いついてきた感

勉強から解放されて早4日。遊んでいるようで遊んでいない。

遊ぶって、何なのか。たしかに友達と出かけたり、推し事をしたり、ゲームも楽しい。しかし何故か心が満たされないと感じることが増えた。「遊んだ~!満足満足bro~!」となるにはどれだけ遊べばよいのか。勉強をしなくてはいけないときに遊んだって楽しくない割に、解放された途端どれだけ遊びたかったのかわからなくなる。結局遊びたいとは口で言っても遊びたくないのかもしれない。

そんなときは漫画が読みたくなる。漫画を読むというのはどういうことなんだろうか。心が楽しくなったり、安らいだりすることが‟遊ぶ”であれば、私にとって漫画を読むのは間違いなく至高の‟遊び”だ。特にお気に入りの一冊に出会ってしまうと、毎日が色めいて日々が楽しくなる。「続きが気になる!」というのも、いじらしいというより、楽しくて気持ちが良い。

漫画は百合ジャンルが好きで、大好きで、溜まらん。

ということで突然だが、最近読んだ百合漫画の話をしよう。

 

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